大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸家庭裁判所 昭和32年(家)186号 審判

控訴人 向後権三郎

被控訴人 向後ふみ子

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事  実〈省略〉

理由

一、昭和二七年一〇月六日被控訴人と向後寅松との間の養子縁組の届出がなされたことは、当事者間に争がなく、原審証人向後清蔵、同林しめ及び同保立はまの証言によると、向後寅松が自ら進んで被控訴人を養子にしたことが、認められ、右認定に反する乙第二号証の記載内容は、前記証言に比照して、信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠がないから、被控訴人は向後寅松の養子であることが明らかである。そして、向後寅松が昭和二八年二月八日向後菊治郎方において死亡し、その前日の七日同所において、原判決添附別紙記載のような本件「遺言書」が作成されたこと、右「遺言書」において、控訴人がその遺言執行者に指定されたこと、は当事者間に争がない。

二、本件「遺言書」(成立に争のない乙第一号証)の記載によると、向後寅松が昭和二八年二月七日午後六時千葉県香取郡笹川町須賀山五、四九七番地向後菊治郎方において、疾病のため死亡の危急に迫つたので、川島子之助、川島清及び向後進を証人として立会わせ、川島子之助に対し、本件「遺言書」記載の遺言の趣旨を口授し、向後進がこれを筆記して、遺言者及び他の証人に読み聞かせ、右証人等がその筆記の相違ないことを認めて、本件「遺言書」に署名捺印したことになつているが、原審及び当審証人佐伯得二竝びに原審証人向後清蔵及び同保立豊作の証言によると、かねて病弱であつた向後寅松は昭和二七年一二月以来右向後菊治郎方において、結核性腹膜炎にて病床についていたところ、昭和二八年二月七日朝容態が悪化し、昏睡状態に陥つたが、医師の強心剤の注射により一応意識を恢復したものの、うとうと眠つては目を覚まし、またうとうと限ることを繰返す状態であつて、何事も自ら進んで発言することなく、水を欲しがる場合にも手をのばすか、足をのばすだけであつて、翌八日朝には顔形が目立つて変り、昏睡状態に陥つて、同日午後八時頃死亡するにいたつたこと、が認められ、以上認定の事実に徴すると、向後寅松は当時本件「遺言書」記載のような遺言の趣旨を口授する能力はなかつたものと認められるのである。この認定に反する原審証人川島子之助、同川島清、同向後進及び当審証人有竹雅己の証言竝びに原審における控訴本人の供述は信用することができない。なお、成立に争のない乙第二号証(訊問調書)によると、昭和二八年四月七日午前九時三〇分向後寅松及び被控訴人間の千葉地方裁判所佐原支部昭和二八年(モ)第二号証拠保全申立事件につき向後寅松本人の臨床訊問が行われ、その訊問調書の前半部分には向後寅松の供述の趣旨が記載されていて、これによると、向後寅松は前記遺言を口授する能力があつたようにも見えるのであるが、右供述は一問一答の形式で記載されていないから、果して向後寅松が自らいかなる程度の発言をしたものか明らかでないし、一問一答の形式で記載されている右調書の後半部分の記載によると、向後寅松は問に対して、すべて黙して答えなかつたことが認められるから、乙第二号証は、向後寅松が当時遺言を口授する能力がなかつたとの前記認定の妨げにはならない。他に前記認定を覆すに足りる証拠がない。

してみると、本件「遺言書」による遺言は、向後寅松の真意に出でたものと認めることができず、無効と解するの外ない。

よつて、本件「遺言書」による向後寅松の遺言が無効であることの確定を求める被控訴人の請求を認容した原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから、民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 角村克己 判事 菊池庚子三 判事 吉田豊)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例